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仙台高等裁判所 平成2年(う)129号 判決 1992年6月04日

主文

原判決を破棄する。

被告人を死刑に処する。

理由

本件各控訴の趣意及び答弁は、検察官小林永和が提出した盛岡地方検察庁検察官片山博仁作成名義の控訴趣意書及び検察官吉田年宏作成名義の答弁書並びに弁護人服部耕三作成名義の控訴趣意書に、それぞれ記載されたとおりであるから、いずれもこれらを引用する。

検察官の所論は、要するに、本件の罪責及び結果の重大性、殊に、殺害された被害者の数、犯行態様の執拗性、残虐性、酌量の余地がない犯行の動機のいずれからみても、被告人の刑責は重大であることに加え、被告人には反省悔悟の念が認められないこと、被害者の遺族の被害感情はいまだに深刻であること及び社会的影響が甚大であることなどの犯情を考慮すれば、本件は、犯罪史上稀にみる残虐極まる凶悪重大犯罪として、被告人には極刑もやむを得ないと認められる事案であるのに、原判決は、量刑事情の評価判断の面において、本件が単なる家庭内の無理心中事案であるとみて、その罪質の厳正な評価を誤り、しかも証拠の一面のみを捉えて被告人の主観的事情を過大に重視したばかりか、刑罰の本質が何よりもまず応報贖罪、すなわち、犯した罪に対する犯人の責任に応じての償いであることを看過し、本来庇護すべき家族五人を理不尽にも皆殺しにして、その将来ある生命を無残にも絶つた行為に対する社会の良識的な処罰感情に関しても判断の適正さを欠き、また、他の類似事犯との量刑の均衡を考慮しない誤りも犯して被告人を無期懲役に処しているのであつて、その量刑は著しく軽きに失し不当であるから、到底破棄を免れないというのであり、弁護人の所論は、要するに、被告人を無期懲役に処した原判決の量刑は重きに失し不当であるというのである。

そこで、原判決の「量刑の理由」をみると、原判決は、本件は、被告人が妻子五人の生命を奪つた重大かつ稀有の犯罪であり、しかもその犯行態様は、マキリという鋭利な刃物で就寝中の妻子の頚部を切り裂いたというまことに凶悪・残忍なものであるばかりでなく、その動機に同情の余地がないうえに、被告人は、原審公判廷において自己の行為を合理化する気配を示すとともに、逆に妻A子の身持ちやその実家側の態度を非難するに至つているため、実家側の被害感情には厳しいものがあることなどからすると、被告人を極刑に処するのもあながち重過ぎる響きをもつとはいえないとしながらも、本件犯行の本質は、「自らの死を決意するとともに家族をも道連れにしようとしたいわば無理心中の事件であり、どちらかといえば、被告人の反社会性というよりも非社会的な不適応性が表面に浮かび上がる事件であることも否定できない。」とし、強盗殺人や強姦殺人などのような一般の凶悪犯罪とは類型を著しく異にするところがあるとしたうえで、被告人の怠惰、粗暴、短絡的で自己中心的な行動傾向が、被告人の十全とは言い難い知能水準や性格の偏りという人格面での障害に起因することは否定できないこと、被告人は自己中心的で身勝手であつたにしても、被告人なりに妻子に愛情を注いでいたこと、被告人は現在ではそれなりの反省の思いと妻子の冥福を祈る日々を送つている様子が窺えること、被告人は過去においてそれなりに勤労生活に従事し、道路交通法違反の罪による罰金刑の前科が一件あるのみで、不良無類の徒とはいささか異なるところがあること、本件は被告人が自首した事案であることなどの事実を認定、判示し、「本件は、五人の尊い生命を奪つたという真に重大な事案ではあるものの、死刑が究極の刑であることを考えるならば、極刑である死刑をもつて臨まなければ国民の正義の観念に反することになるとまでは言い難いものがある」として、被告人を無期懲役刑に処した。

よつて、記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調べの結果をも併せて右量刑の当否について審究すると、被告人の本件犯行に至る経緯と犯行状況は、概ね原判決が「本件犯行に至る経緯等」及び「罪となるべき事実」において認定するとおりである。すなわち、漁船員をしたり土木作業員をしていた被告人は、原判示のような経緯で昭和四九年一〇月四日妻A子と婚姻し、同女との間に長女B子(昭和五〇年一月一七日生)、長男C(昭和五一年五月一三日生)、二男D(昭和五三年一一月二九日生)及び三男E(昭和五八年四月九日生)の四子を儲け、肩書住居地の借家で生活を営んでいた。しかし、被告人は必ずしも勤勉な性格とはいえず、また、対人関係もあまりよくなかつたことから、一定の船主の漁船で働き続けることができず、転々と船を乗り換え、あるいは次の仕事の当てもないまま漁期半ばで下船して土木作業員などをして日銭を稼いだり、失業保険金の支給を受けたりすることもあつたため、育ち盛りの子供らを抱えて収入は必ずしも安定せず、家賃すら満足に払えない有り様で、A子が洋裁の内職をして辛うじて家計を保つという生活が続いていた。殊に、昭和六二年初めころには、被告人が船主と水揚げの精算のことで折り合いがつかなかつたうえに、船頭と気が合わないことなどを理由に当時働いていた漁船を下りてしまつたことからA子との間でしばしば口論となり、昭和六三年三月ころにはA子から働きがないなどと難詰され、興奮の余りA子に殴る、蹴るの乱暴をしたため、同女が被告人との生活に見切りをつけ、青森県八戸市内の実家に戻つて離婚を求め、子供らもこれに従うという事態に発展するまでとなつた。そのため被告人は、A子の実家に赴くなどして同女に戻つてくるように懇請したが、同女は容易に戻ろうとしなかつた。そこで、被告人は母親とともにA子の実家に出向いて謝罪し、今後はまじめに働くこととA子に暴力を振るわないことを誓約し、母親らも被告人を監督して右の誓約を守らせることをA子やその両親らに保証したため、A子は一箇月余りのちにようやく子供らとともに被告人の許に帰ることとなつた。被告人は、その後、右の誓約に従い、従兄弟に当たるFの世話で同人が漁労長をしていた八戸港所属の第五二甲野丸に乗つて漁船員として働き、右漁船が漁期の途中八戸港に立ち寄つた際には帰宅して一家団欒をするなどして、しばらくは平穏な生活を送つていた。ところが、平成元年七月二〇日同船が漁期途中八戸港に一時寄港し、同月二六日次の漁に出港するに際し、被告人は他の漁船員の働き振りに対する不満を理由に同船から下りてしまい、出港当日迎えにきたFからの誘いを断つてしまつた。被告人は、同日夜、右の事情を知つたA子から、金もないのに働きもしないなどと難詰されるに及び、立腹の余りA子の顔面を殴打したため、A子は前記の誓約が破棄される結果となつたとして、その後間もなく町役場から離婚届の用紙を貰つてきてこれに被告人の署名を求め離婚を迫つたけれども、被告人はその場で右用紙を破り捨ててしまい、A子からの離婚の要求に応じなかつた。A子は同月二九日及び三〇日の両日実家が経営している民宿の手伝いを求められて実家に帰つたが、被告人はA子の実家ではもともと被告人の結婚自体に反対であつたうえに、前年の離婚話に際してもむしろ離婚に積極的であつたことから、被告人が前記の誓約を破つた以上、A子は実家の両親らとともにいよいよ離婚話を持ち出してくるのではないかと内心穏やかならざる心境となつていた。しかも、同年八月八日になつて、被告人は、A子の父親が病院で検査を受けることになつているから翌九日にA子を実家の手伝いによこして欲しいという趣旨の電話があつたことを被告人の母親から聞くに及び、A子が実家に戻れば離婚させられることが必至であるばかりでなく、子供らもA子について行つてしまい、被告人が一人取り残されてしまうのではないかとの不安を募らせるようになつた。被告人は、同月八日の夜、自宅の居間兼台所で不安を隠したままA子とともにウィスキーの水割り等を飲んでいるうちそのまま寝込んでしまつたが、翌九日午前五時ころに目を覚まし、寝直そうとしてA子とEが寝ていた自宅東側七畳間に行き、A子の右隣に寝ようとした際、被告人の左肘がA子の右腕に触れた途端、A子がその腕で被告人の左肘を払いのけ、被告人に背を向けるようにして寝返りを打つたことから、被告人は、同女が被告人に対する嫌悪感を示したものと即断して立腹するとともに、A子は離婚の決意が固く、前記の不安が的中したものと断じ、咄嗟に、同女と離婚させられたうえ子供らを実家に取られ、被告人が一人取り残される位なら、A子や子供らを皆殺しにして自分も死んだ方がよいとの思いに駆られ、一旦寝ようとした布団から起き上がり、南側隣室の六畳間から持ち出した一升瓶入りの日本酒約七合を度胸をつけるために一気にラッパ飲みしたのち、居間兼台所の北西隅の長押に設けられた神棚に置いてあつた刃体の長さ約一五・五センチメートルのマキリを持ち出し、右マキリを用いて、自宅東側七畳間において就寝中の妻A子、三男Eの各頚部を掻き切り、次いで西側七畳間で就寝中の長女B子、長男C及び二男Dの各頚部を掻き切り、あるいは突き刺して、それぞれ原判示のような傷害を負わせ、そのころ右五人をいずれも右各傷害に基づく失血により死亡させて殺害したという事案である。

本件は、右にみたように、妻子五人を殺害したという罪質、結果ともまことに重大な事案であることはいうまでもないばかりでなく、その犯行の態様の残虐性や犯行の動機に格別酌量の余地がないことなどをも併せ考えると、検察官の所論指摘のとおり、稀にみる凶悪重大な犯罪ということができる。すなわち、まず、本件の態様をみるのに、被告人は、前述したような経緯で妻子五人の皆殺しを決意するや、被告人が乗つていた漁船から持ち帰り、前記神棚に新聞紙に包んで差し込んで置いた新品の鋭利なマキリを取り出して右手に握りしめ、就寝中の妻子五人のうち、まず、A子の頚部をマキリの刃が頚椎に達するほどの力を込めて少なくとも二回掻き切り、次いで、母親に添い寝をされていた保育園児で当時六歳の三男Eの頚部を頚椎が露出し骨創を形成するほどの力を込めて掻き切り、更に、隣室の子供部屋において、中学三年生で当時一四歳の長女B子、小学五年生で当時一〇歳の二男D及び中学一年生で当時一三歳の長男Cの各頚部をマキリの刃が頚椎に達するほどの力を込めて掻き切り、あるいは突き刺して本件犯行に及んだものである。そのため、A子は甲状軟骨、食道、左総頚動静脈が完全に切断され(右総頚動脈は不完全切断)、同女の左指に防御損傷と認められる創が存在することからすると、同女は被告人の右凶行に若干の抵抗を示したものの、被告人の急襲になんらなす術もなく、前記の傷害を負つて失血死するに至つている。また、Eは、甲状軟骨、左総頚動静脈が完全に切断されたほか、右三角筋部前面に長さ約七センチメートル、幅約二・五センチメートルの鋭利な創を残し、前記頚部の創に基づく失血により死亡するに至つた。更に、B子は、その頚部の甲状軟骨が露出して右総頚動脈が完全に切断され、同女の左指に防御損傷と認められる鋭利な骨創を伴う組織欠損があることからすると、同女は被告人の右凶行に若干の抵抗を試みたもののなんらなす術もなく前記の傷害を負つて失血死するに至つている。また、Dは、甲状軟骨が切断され露出して左総頚動静脈に損傷を生じ、同傷害に基づく失血により死亡するに至つているが、同児は受傷後暫時生存し、死亡するまでの間、苦痛の余り呻吟する声を発し、あるいは救いを求めて別室に移動した形跡のあることが窺われる。なお、同児には右の損傷のほか頭頂部や右鎖骨部等に鋭利な創が多数認められるほか、右指に防御損傷と思われる創が存在している。そして、本件凶行の最後と思われるCにはその右総頚動脈等切断の損傷を与えて同児を失血死させているのであるが、同児の顔面や腹胸部、左右の上肢等に多数の創があり、殊にその背部に残された創縁の鋭利な創や同児の左手指、手掌に防御損傷と認められる創が存在することからすると、被告人が捜査段階の当初供述していたように、驚愕の余り逃げ惑うCを執拗に部屋の隅に追い詰めて同児の背部等を突き刺し、あるいは切り付け、遂には右総頚動静脈切断により失血死させたものと認められる。

以上のような本件各犯行の態様からすると、被告人は明らかに確定的殺意をもつて本件凶行に及んだばかりでなく、被害者らが血にまみれて横たわついるのを目にし、あるいは苦痛の余り呻吟する声を耳にしながら、なんら意に介しなかつたものであつて、冷酷非道この上ない所業というほかはない。のみならず、被告人は、惨殺した妻子五人の遺体を同月一三日早朝警察に自首するまでの間放置していたため、その遺体が発見されたときにはいずれも腐敗して悪臭を放ち、蛆虫が湧くといつた悲惨な状況であつた。原判決が本件犯行の態様をまことに凶悪・残忍の極みであると判示しているのは、当裁判所においてもそのまま首肯し得るところである。

次に、本件各犯行の動機は、前記のとおり、A子が離婚を決意して四人の子供らを引き連れて実家に帰り、被告人が一人取り残されるのではないかと不安を募らせていたところ、前記のような寝室でのA子の挙動から咄嗟に妻子らを皆殺しにしようと決意して本件凶行に及んだというのであるが、右の動機はいかにも短絡的であるばかりでなく、余りにも自己中心的というほかはない。なるほど、A子が被告人との離婚を真剣に考えていたであろうことは、同女が被告人に町役場から貰つて来た離婚届用紙に署名を迫つたことからも明らかであり、被告人とA子とのこれまでの夫婦仲、殊に、被告人が前記誓約を破つた経緯及び実家の両親の態度等からすれば、A子とは離婚となり、子供らも実家に引き取られることになることも十分考えられるところであつた。しかしながら、A子やその両親らがA子と被告人との離婚を考えざるを得ない状況に立ち至つたのはほかならぬ被告人自身にその責任が求められなければならなかつたといえる。すなわち、前記のように、被告人は、昭和六一年ころまでは不十分ながらも漁船員として働いていたものの、昭和六二年初めころには漁船を下りてしまい、以後土工などをして働くこともあつたか、一家を養うだけの収入もなかつたことから、A子の内職により辛うじて一家の糊口を凌ぐ生活をせざるを得なかつた。のみならず、被告人は、A子から仕事に出ないことをなじられると、殴る、蹴るの暴行を加えるなどしたため、昭和六三年三月ころ、前記のとおりA子が子供らを連れて実家へ帰り離婚話が出るまでになり、その際は前記のような経緯で元の鞘に収まり、Fの折角の好意で第五二甲野丸に乗ることとなつたにもかかわらず、平成元年七月には前記のような事情で下船し、以後仕事を見つけて働こうとしなかつたことからA子に難詰されるに及び、同女の顔面を殴打したという経緯から考えると、同女が、被告人が前記誓約を破つたためいよいよ離婚の決意を固め、離婚届用紙に被告人の署名を求めて離婚を迫るといつた態度に出、その両親らもこれに賛成したとしても無理からぬものがあり、このような事態に立ち至つた責任は挙げて被告人の怠惰かつ暴力的な性格や家族に対する無責任な生活態度にあつたと非難されてもやむを得ないというべきである。これに対し、A子にはそれまでの努力を褒められこそすれ、落ち度といえるほどのものはなく、また、子供らにはいかなる意味でも非難される余地のないことはいうまでもない。なお、被告人は、本件犯行の動機に関連して、原審公判廷において、親が死んだ後に残される子供らがかわいそうであるから殺害した旨供述し、あたかも親心から子供らを殺害したかのように弁解しているが、従前の被告人の生活態度や言動に鑑みると、子供の人格を無視し、子供を親の私物化する余りにも身勝手な言い分と評するほかなく、本件犯行の動機は単に自己の意のままにならない事態となつたことに対し、激情の赴くまま家族皆殺しを図つたというのが事の真相であつて、親心から殺害行為に及んだなどとは到底認められない。

以上のような本件犯行の態様、動機に加えて、被告人が妻子を五人までも惨殺したその結果は余りにも重大かつ深刻である。すなわち、A子は、中学校卒業後洋裁を習つて東京や岩手県内の縫製工場で縫製工として働いた後、被告人と結婚して四人の子を儲けた。同女は、前述のような困窮した生活の中で、洋裁の内職をしながら家計を助けていたが、実家に愚痴をこぼすことなく、また、実践倫理を説く朝起き会なる集まりに加わつて会員と育児のことを話し合つたり、生活の反省文をノ-トに書き綴つているが、これらによると、A子が子供らに深い愛情を注ぎ、自らを反省しながら被告人に尽くして明るい家庭を築こうと努力している様子を十分に窺い知ることができる。このような献身的生活をしていた同女が、まじめに働いて同女に暴力を振るわないとする誓約を一方的に破られたうえ、一言の抗議の機会も与えられることなく惨殺されたばかりか、理不尽にも最愛の子供らまでもすべて被告人の凶刃によつて殺されてしまつたのであつて、同女の心情を察すると余りにも不憫というほかない。また、四人の子供らは、経済的には決して裕福とは言い難い家庭にありながらも、いずれも明朗で素直な性格に育ち、それぞれ将来に多様な可能性を秘めた人生を歩み始めたところであつたが、いずれも瞬時にして一命を奪われたものであつて、その無念さは察するに余りあるものといわなければならない。また、A子の実家の両親やきようだいらは本件による衝撃に打ちひしがれているばかりでなく、後術の被告人の犯行後の態度に接して異口同音に厳しい被害感情を示し、被告人に対して極刑をもつて臨むべきことを強く望んでいるのも決して理由のないことではない。

以上のように、本件は、原判決も判示するように、妻子五人の生命を奪つた重大かつ稀有の凶悪犯罪であり、その犯行の態様も冷酷かつ無残であつて、動機にも同情の余地がないばかりでなく、被告人は後術のとおり反省悔悟の念に乏しく、被害感情には極めて厳しいものがあることなどからすると、被告人に対しては自由刑をもつて臨むにはもはやその限界を超えているのではないかと考えられるところ、原判決は前記のような理由で極刑を避け、被告人を無期懲役刑に処することとしたのである。

そこで、その理由の当否を検討すると、まず、原判決が、その「量刑の理由」の項において、本件犯行の本質は、自らの死を決意するとともに家庭をも道連れにしようとした無理心中の事件であると規定し、被告人の反社会性というより非社会的な不適応性が表面に浮かび上がる事件であることも否定できないと判示する点は、量刑に関する事実認定を誤り、ひいては本件犯行の本質に対する評価を誤つたものと考えられる。この点について、被告人は捜査段階から一貫して妻子を皆殺しにして自分も死のうと思つた旨供述しているが、関係各証拠によると、被告人は、本件凶行に及んだのち直ちに自殺を企てるどころか、凶行に及んだ寝室や子供部屋から居間兼台所に戻つたのち、隣室のA子の仕事部屋から持ち出した日本酒一升瓶の封を切り、約五合の日本酒を飲んでその場で寝込んでしまつたこと、同日午後一〇時ころ目を覚ました被告人は、冷蔵庫の上に置いてあつたA子の鞄の中から一四万一〇〇〇円を抜き取り、更に洗面用具と飲み残しの酒の入つた一升瓶を携え、犯行現場を他人に見られないようにするため、留守を装つて玄関の外側から南京錠を掛けて自転車で実家に向かつたこと、その晩、被告人は実家で眠つたのち、翌一〇日午前一〇時ころ起き出し、ちり紙にペンで「みんなつれていく ゆるせ」と書いてこれを財布の中に入れ、物置の中からロ-プを持ち出してその先端に輪を作り、これを携えて実家近くの川尻川にかかつている国道四五号線の鉄橋の下に行き、ロ-プを橋桁の鉄骨部分に掛けるなどして自殺を図ろうとしたがこれを取り止めたこと、その後、被告人は実家に戻り、屋敷内の木陰にござを敷いて日本酒を飲んで昼寝をするなどして過ごし、更に、その翌日や翌々日にも食事もせずにぶらぶら過ごしていたが、その間、実家の台所から持ち出したマキリで手首を切つて自殺を図ろうと考えたものの、マキリを構えただけで手首に当てることもせずに止めたこと、その後は格別自殺を試みようとしたこともなく、同月一三日早朝電話で一一〇番通報をして自首したことが認められる。以上の事実によれば、被告人は本件犯行に際し、真剣に自らの死を決意したというにはほど遠く、ただ漠然と自分も死んだ方がよい、あるいは生きては行けないと考えたに過ぎず(原判決は、「本件犯行に至る経緯等」においては、「自分も死んだ方がよいとの思いに駆られ」と量刑の理由欄とはやや異なる判示をしている。)、犯行後も自殺を決行しようと思えばその機会と方法はいくらでもあつたのに、被告人は、同様の気持ちから首吊り自殺やマキリを用いての自殺を試みることを考えただけで真剣にその決行を試みた形跡は認められず、原判決が、本件の本質は被告人が自ら死を決意するとともに家族をも道連れにしようとしたいわば無理心中事件としているのは事実認定を誤つたものといわなければならない。その意味において、本件は、例えば、親が何らかの事情によつて自殺の途を選ばなければならない状況に追い込まれたときに、心身に重篤な疾病をもち他人の介助を必要とする子供をその道連れにするといつた、加害者たる親と被害者たる子供の置かれた境遇にそれなりの世間の同情を誘ういわゆる家庭内無理心中事件などとは全く性格を異にするものである。以上のような被告人の心情ないし心理状態からすると、本件は、被告人が心底からA子と子供らを自殺の道連れにしようとしたというよりも、A子と離婚して同女や子供らを実家に取られる位なら、A子と子供らを皆殺しにした方がましだというこの上なく身勝手で自己中心的かつ短絡的な意図から出た犯行であるところにその本質を見出すことができるのであつて、そうであるとするならば、本件を単に被告人の「非社会的な不適応性が表面に浮かび上がる事件」とみるのは相当ではなく、本件はまさに被告人の反社会的性格に起因する凶悪犯罪といわなければならない。

また、原判決は、被告人が本件犯行に出た遠因である被告人の怠惰、粗暴、短絡的で自己中心的な行動傾向が、被告人の十全とは言い難い知能水準や性格の偏りという人格面での障害に起因することは否定できない、と判示する。しかしながら、関係各証拠によると、被告人の学校当時の成績は最低に近く、知的水準の程度は軽愚級(ウエクスラー成人用知能検査)にあり、手紙や文章を書いたりすることが苦手であることは認められるが、日常生活では特に知的水準の低下を窺わせる状況は認められなかつたし、被告人の性格傾向は自己中心的であり、情緒的に不安定で不適応状態に陥りやすいことが窺われるものの、特に精神病質人格ないし異常人格とは認められず、このような被告人の知的水準や性格傾向等が大きく量刑に影響を及ぼすとは考えられない。

更に、被告人は、このようなまことに重大な犯罪を犯しながら、心底から本件犯行を反省悔悟しているとは必ずしも認められないことは遺憾というほかはない。すなわち、被告人は原判決も認めるように、原審公判廷において、次第に自己の行為を合理化するような態度を示し、格別の根拠もなくA子の醜関係をあげつらつたり、夫婦仲が悪くなつたのはA子の実家に原因があるなどと言い募るなどしているのである。原判決はその事実を認めながらも、他方で被告人にはそれなりの反省の思いと妻子の冥福を祈る様子が窺えるとする。被告人が妻子の殺害を悔い、その冥福を祈る心情に偽りはないであろうが、右のような自己の行為の正当化、合理化を主張することは、被告人に真の反省の情があるかを疑わせるに足るものである。そればかりでなく、被告人は、犯行後約一年の間、A子の両親ら遺族に対して謝罪することなく、その後ようやくA子の父親宛に謝罪の気持ちを便箋一枚に認めて送つているが、その直後には便箋二一枚にわたりA子の実家の者らに対する恨みの思いやA子の父親に対する金の要求までも書き綴つて送つているほか、原審公判廷においても、A子の実家の人達は憎いとさえ公言している。これらの事実からすれば、基礎的教育すら十分に身につけていない被告人が、自己の心境を的確に表現する能力を持ち合わせていないであろうことを考慮にいれても、本件犯行に対する心底からの反省の念に乏しいとの非難は甘受せざるを得ないといわなければならない。そのこともあつて、被告人は、被害者らの遺族、殊にA子の両親らに対しては全くといつてよいほど慰謝の気持ちを表していない。また、被告人の家族らも誰一人として慰謝の方途を講じていない。これらの事情は本件の量刑上も十分考慮されるべきである。

これを要するに、原判決が極刑を避けるべき理由として挙げた点の多くは、判断の誤りであるか、その理由となり得ないものといわざるを得ない。以上説示したような本件犯行の罪質、経緯、動機、態様、なかんずく殺害方法の執拗性、残虐性、結果の重大性、殊に殺害された被害者の数、年齢及び被告人の反省の程度、遺族らの被害感情に加えて、本件犯行が新聞、テレビ等によつて大きく報道されて地域住民、とりわけ本件で殺害された中学生から保育園児までの被害者らと同じく多感な時期にある友人やその家族らに及ぼした衝撃は測り知れず、地域社会に与えた影響には甚大なものがあり、これらの事情に本件記録に表れた諸般の情状及びこの種事犯に対する量刑の実情等を総合考慮すると、被告人は、本件犯行自体は一応反省し自首していることや、被告人には道路交通方違反の罪による罰金刑以外に前科がないことなどの被告人のために酌むべき情状を勘案しても、被告人に対する刑事処分は当然峻厳たるざるを得ない。

弁護人は、死刑は憲法三六条にいう「残虐な刑罰」に当たることから、これを定めた刑法一九九条はその限度で憲法違反である旨当審最終弁論において主張するが、死刑が憲法三六条にいう「残虐な刑罰」に当たるものではなく、死刑を定めた刑法の規定が憲法に違反しないことは最高裁判所の判例が示すとおりである。そして、もとより、死刑は人間存在の根元である生命そのものを永遠に奪い去る冷厳な極刑であり、まことにやむを得ない場合における究極の刑罰であつて、その適用においてはあくまで慎重に行わなければならないことは当然である。したがつて、当裁判所においても慎重に熟慮を重ねたが、上述した情状に照らし被告人に対しては極刑をもつて臨むのもやむなしとの結論に達した次第である。

然るに、原判決は、事ここに出でず、被告人を無期懲役刑に処したのは、本件犯行の本質に対する洞察を欠き、本件は被告人の反社会性というよりは非社会的な不適応性が表面に浮かび上がる事件であるなどとして、本件犯行の凶悪性、残虐性、結果の重大性を殊更軽視したばかりでなく、本件犯行の原因となつた被告人の怠惰、粗暴かつ短絡的で自己中心的な行動傾向が被告人の知能水準や人格面の障害に起因することは否定できないことなどを被告人に有利な情状として過度に斟酌したためその量刑を不当に誤つたものといわなければならない。そうすると、検察官の論旨は理由があるから、原判決は破棄を免れず、弁護人の論旨は自ずから理由がないことに帰着する。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により被告事件について更に次のとおり判決する。

原判決が認定した本件犯行に至る経緯等を含む罪となるべき事実に法律を適用すると、被告人の原判示行為は、被害者毎に刑法一九九条に該当するところ、前記情状を考慮のうえ所定刑中いずれも死刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四六条一項本文、一〇条により犯情の最も重い原判示A子に対する殺人罪につき被告人を死刑に処し、他の刑を科さないこととし、原審及び当審における訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡辺達夫 裁判官 泉山禎治 裁判官 堀田良一)

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